1: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:29:35 ID:RM4 
やっばり宮本武蔵?

Miyamoto_Musashi_Self-Portrait

宮本 武蔵(みやもと むさし)は、江戸時代初期の剣術家、兵法家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。

京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での決闘が後世、演劇、小説、様々な映像作品の題材になっている。著書『五輪書』は外国語にも翻訳され出版されている。国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』など水墨画・鞍・木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。

『五輪書』には13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と決闘し勝利し、16歳で但馬国の秋山という強力の兵法者に勝利し、以来29歳までに60余回の勝負を行い、すべてに勝利したと記述される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E8%94%B5



3: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:29:55 ID:MgJ
ヨシダサオリ

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4: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:29:59 ID:emd
吉田沙保里一択

5: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:30:25 ID:RM4 
>>3
>>4
わりとマジで男には負けるだろ

10: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:31:11 ID:wRQ
>>5
あくまで競技者やしな

9: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:31:07 ID:qoq
>>5
宮本だとかの時代は今の感覚やとチビばっかやからマジで吉田沙保里のが強いかもわからん



 【事前予約】カード、スキルを組み合わせて戦略を練り、最強のデッキを作れ!





2: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:29:53 ID:4ym
雷電ためえもん

6: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:30:35 ID:Rrr
佐久間盛政

佐久間玄蕃盛政

佐久間 盛政(さくま もりまさ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。御器所西城主。佐久間氏の一族。官途および通称は玄蕃允。勇猛さから鬼玄蕃と称された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E7%9B%9B%E6%94%BF

166: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)21:30:09 ID:OyK
>>6
同意

13: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:33:52 ID:mun
千代の富士

15: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:34:34 ID:uTc
舩坂弘やろ

11: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:32:33 ID:RM4 
兵法とかではなくあくまで腕っぷしの話な

12: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:33:21 ID:lRL
>>11
ほなら柔道の木村かその師匠やない?

Masahiko_Kimura_(1917-1993)

木村 政彦(きむら まさひこ、1917年(大正6年)9月10日 - 1993年(平成5年)4月18日)は、日本の柔道家。プロレスラー。段位は講道館柔道七段。

全日本選手権13年連続保持[注釈 1]、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退[注釈 2]。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」[注釈 3]と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されることが多い。

その荒々しい柔道スタイルから「鬼の木村」の異名を持つ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%94%BF%E5%BD%A6

14: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:34:19 ID:RM4 
>>11
軍艦とか戦闘機はダメだけど手に持てる武器は使えるとしたら?

17: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:37:59 ID:lRL
>>14

19: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:39:01 ID:RM4 
>>17
ああごめん、だから素手の柔道よりも武器を持った侍の方が強いんでない?
って話

21: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:40:09 ID:lRL
>>19
あ、やっぱワイへのレスやったんか
ほなら戦争中の奴が最強ちゃうか?多分>>15の人

23: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:42:12 ID:RM4 
>>21
ああごめん、安価先ミスってたわ
ただ軍艦だの戦闘機だのは戦闘のレベルが違いすぎるので今回は白兵戦最強を決めたいって話

22: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:41:42 ID:uTc
船坂弘伝説

・米軍二万人に対し友軍1400人の状況で戦闘、一人で200人を殺傷するが部隊は壊滅
・全身20箇所に砲弾の破片が刺さり軍医には自決用の手榴弾を渡されるが、それを持って単身敵陣に突入
・信管を抜く直前に首を撃たれて昏倒するが三日後に復活
・収容所を脱走して弾薬庫を爆破
・たった一人生きて帰ってきたので自分の墓を引っこ抜くところから戦後がスタートした

140: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:52:48 ID:USQ
>>22
こいつや
ほんまにキチガイや

24: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:42:43 ID:RM4 
すげーな
戦争中って聞いたから戦闘機のパイロットかと思ってたわ

31: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:45:41 ID:uTc
2006年までは生きてたってな
85歳で死んだ

33: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:46:14 ID:RM4 
>>31
戦闘力もさることながら生命力の凄さよ

16: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:36:51 ID:tPs
ワイ歴史音痴
てっきり佐々木小次郎、柳生十兵衛、岡田以蔵辺りの武士が出てくると思ってました

18: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:38:36 ID:Xr4
塩田剛三

26: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:43:22 ID:yOu
陸戦最強なら船坂やろ

32: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:45:54 ID:tBK
武器に制限ないん?

34: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:46:32 ID:RM4 
>>32
手に持てる範囲でどう?

35: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:46:54 ID:Rc7
弁慶だと思って開いたら違ったらしい

Musashiboubenkei

武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい 武藏坊辨慶、? - 文治5年閏4月30日(1189年6月15日))は、平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。 五条の大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。講談などでは義経に仕える怪力無双の荒法師として名高い。『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。

元は比叡山の僧で、武術を好み、義経に仕えたと言われるが、『吾妻鏡』には文治元年(1185年)11月3日に「辨慶法師已下相從」11月6日に「相從豫州之輩纔四人 所謂伊豆右衛門尉 堀弥太郎 武藏房辨慶」と記されているだけであり、『平家物語』では義経郎党として名があるのみで、その生涯についてはほとんど判らない。一時期は実在すら疑われたこともある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9D%8A%E5%BC%81%E6%85%B6

37: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:48:05 ID:RM4 
>>35
あの辺も有名どころは多いな
義経だったり与一だったり

250px-Minamoto_no_Yoshitsune

源 義経(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。

河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。

その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき[注釈 2])という言葉、多くの伝説、物語を生んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C

280px-NasunoYoichi

那須 与一(なすの よいち)は、平安時代末期の武将・御家人。系図上は那須氏2代当主と伝えられる。一般的に宗隆[3]と紹介されることも多いが、家督を相続した後は資隆と名乗ったと伝えられる(この項目での呼称は「与一」で統一する)。

幼い頃から弓の腕が達者で、居並ぶ兄達の前でその腕前を示し父の資隆を驚嘆させたという地元の伝承がある。また、治承4年(1180年)、那須岳で弓の稽古をしていた時、那須温泉神社に必勝祈願に来た義経に出会い、資隆が兄の十郎為隆と与一を源氏方に従軍させる約束を交わしたという伝説がある。その他与一が開基とする寺社がいくつか存在している。『平家物語』に記される、扇の的を射抜く話が非常に有名である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E4%B8%8E%E4%B8%80

39: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:50:15 ID:lRL
>>37
義経は個人の戦闘能力やなしに指揮やないかね

40: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:51:42 ID:RM4 
>>39
仮にも少年時代に弁慶倒したんやから単純な戦闘力もあるんでは?

45: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:54:01 ID:Urd
>>35
弁慶は史実だと名前しか出てこないモブだった事実

47: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:54:46 ID:lRL
>>45
仁王立ちとか五条大橋は流石に作り話や思ってたけどそこまでモブなん?

53: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:57:27 ID:Urd
>>47
せやで、史実だと義経が悪僧をいろいろと雇ってた話に名前が出る程度やで

61: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:00:53 ID:lRL
>>53
悲しいなぁ

38: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:49:44 ID:tBK
そこは義仲ちゃうか

43: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:53:12 ID:MBi
空気投げの人やろ

48: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:55:17 ID:LQq
本多忠勝やで

Honda_Tadakatu

本多 忠勝(ほんだただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。
徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

武勇
生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている[27][10][7][9][注釈 3]。
忠勝の名采配ぶりを見た配下の将達は、「忠勝の指揮で戦うと、背中に盾を背負っているようなものだ」と称えた[9]。
一言坂の戦いでの殿軍での戦いぶりを武田軍の小杉左近から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」との狂歌の落書をもって賞賛された[28][6]。(「唐の頭」は当時徳川家中で流行っていた兜などにつけるヤクの尾毛の飾り物を指す)
織田信長はその並はずれた武勇を武田征伐後、「花も実も兼ね備えた武将である」と侍臣に紹介した[6]。
豊臣秀吉には「日本第一、古今独歩の勇士」と称され、また、「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と勇将として引き合いに出された[10]。
関ヶ原の戦い終了後、福島正則は忠勝の武勇を褒め称えた。忠勝は「采配が良かったのではない、敵が弱すぎたのだ」と答えたという。
戦場に出て敵と戦う時の槍働きは古今無双だったが、教練などでの槍術は甚だ不器用で戦場での忠勝を知らぬ人が見ると意外と思ったという(『甲子夜話』)。
桑名へ移封後のある日、息子の忠政と小舟で巡視に出ている時に「櫂で葦を薙いでみろ」と言い、忠政が葦を薙ぎ倒したのに対し、忠勝は鎌で刈ったように切り取ってしまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E5%8B%9D

50: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:56:23 ID:nuF
柴田勝家

52: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:57:19 ID:rsH
手に持てる範囲なら陸自の装備でも充分強い

54: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:58:13 ID:D3B
義家
為朝
義仲
義経

源氏とかいう戦闘マシーン

55: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:58:51 ID:RM4 
>>54
戦闘力に極振りしたから三代しか続かなかったん?

59: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:00:04 ID:rsH
>>55
平氏に勝ったあと粛清粛清&粛清やってるしなぁ...

58: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:59:30 ID:tBK
>>55
間違ってはいない
もともとカッペだから

62: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:00:54 ID:RM4 
>>58
幕府の開き方については家康が参考にしたって言ってたくらいやから頭いいんかと思ってた

64: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:01:57 ID:uTc
>>62
いいところだけ学んだんやろ

66: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:02:46 ID:RM4 
>>64
なるほどなあ
特に考えたわけやなくて結果論やったんかなあ?

65: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:02:14 ID:lRL
>>55
一応戦国武将はみんな源氏or平氏名乗っとる(自称)

71: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:03:40 ID:RM4 
>>65
幕府の話な

56: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)17:59:13 ID:cWP
もう陸奥九十九でいいわ

72: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:04:03 ID:D3B
やっぱ最強は鎮西八郎だろ

一度死んだはずなのになぜか復活してて琉球征服しちゃうし

250px-Minamoto_Tametomo

源 為朝(みなもと の ためとも、旧字体:爲朝)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる。

身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で剛勇無双を謳われた。生まれつき乱暴者で父の為義に持てあまされ、僻地の九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗る。保元の乱では父とともに崇徳上皇方に参加し、強弓と特製の太矢で大いに奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも国司に従わず、大暴れして伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。

『愚管抄』には為朝が兄の頼賢とともに奮戦したとあり、『吾妻鏡』にも戦場で射られた大庭景義が為朝のことを「無双の弓矢の達者」だと言うくだりがあり、当時から世に聞こえた剛の武者であったことは確かである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%82%BA%E6%9C%9D

75: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:05:32 ID:lRL
>>72
征服はしてへんで
古代中国で言う周王みたいな奴(舜天)のパッパになったって説や

73: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:04:19 ID:rsH
平清盛  助命してやったのに子孫を次々と殺される

源義仲  平家を壊滅させた英雄だが嫉妬嫉妬アンド嫉妬され朝廷と上手くいかなかったことに付け込まれ討ち取られる

源義高  義仲が頼朝と仲良くするために人質として預け大姫(頼朝娘)と婚約。頼朝は自分の息子と思って育てると約束していたにもかかわらず復讐を恐れて殺害される

藤内光澄 大姫が心を病んだのはお前が義高を殺したせいだなどと無茶な罪を着せられ打ち首にされる

上総広常 流人時代の頼朝の下に大軍を率いて味方してくれたというのに謀反の罪を着せられ粛清、広大な領地を奪うために殺されたといわれている

源義経  平家追討で多大な功績を挙げたというのにロクな恩賞を与えず朝廷から恩賞をもらったことを咎めて殺害

長田忠致 義朝殺害の下手人。命の危険を顧みず一族総出で出頭、「懸命に働けば美濃・尾張をやる」の言葉に感激して奮戦する。しかし戦後に「身の終わりをやる」と言われ殺された

長田景致 忠致の息子。父同様に殺される

藤原泰衡 命令に従って義経を殺してやったというのにやっぱり追討され部下に殺される

河田次郎 泰衡を殺して首を持ってきてやったというのに主人殺しは不忠の極みと言いがかりをつけられ殺される

源範頼  頼朝暗殺の誤報を心配する政子に「後にはそれがしが控えておりまする」と手紙を送って安心させようとしたら謀反の疑いをかけられ流罪・暗殺

99: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:16:37 ID:nuF
>>73
ムチャクチャだわなw

106: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:22:41 ID:6VN
>>73
身の終わりは畜生すぎて草

78: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:06:59 ID:D3B
集団で見たら薩摩隼人が最強の戦闘種族じゃね?

79: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:07:56 ID:RM4 
>>78
昨日ドリフターズを漫喫で読んだ俺には説得力がある意見やな

85: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:09:13 ID:lRL
>>78
武田「一理ない」

86: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:09:22 ID:D19
薩摩がいくら戦上手でも結局秀吉に屈服しとるやん

88: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:10:09 ID:RM4 
>>86
秀吉がフリーザやっただけの話やろ

87: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:09:33 ID:rsH
言うてこんなん近接に縛ってないんやから
現代が有利過ぎるやんけ

91: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:11:00 ID:uTc
>>87
周囲に対する相対的な強さで図ってるんやろ

92: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:11:23 ID:RM4 
>>87
そりゃ武器の性能に関して言えばそうやけどさあ…

93: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:11:33 ID:lRL
昔の剣豪とかはロマンあるけど信憑性がなぁ

94: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:12:39 ID:xDM
にわかだが戦国最強は本多忠勝っての聞いたんだがほんと?

97: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:13:44 ID:RM4 
>>94
仮にも軍のトップである大名が最高戦力ってあり得るんか?

122: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:39:56 ID:42z
>>97
当時は君主でありながら前線で指揮しつつ敵と戦っちゃう大名は珍しくなかった

125: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:41:17 ID:RM4 
>>122
戦うのは珍しくなくてもそこで最強のってあり得るんか?
部下かたなしやん

128: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:44:00 ID:42z
>>125
一人で全部倒す無双じゃないんだし、いくら自分が強くても部下は必要になる
戦国大名の中に最強の戦士がいるかはわからん

131: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:46:28 ID:RM4 
>>128
部下は主君を守るのが仕事で美徳やろ?
特にあの時代はそれがより顕著やないか?
トップに必要なのはカリスマやろ、腕っぷしの強さもカリスマの一因になりえるやろうけど最強になってしまうとどうなんやろ

134: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:50:28 ID:42z
>>131
大名自身も武士だからなあ
敵を前に怖気付いて前線から逃げ出す大名がいたら見放されると思う
当時の日本の最強の戦士が大名だったかどうかはわからない
でも大名の方が教育機会にも栄養的にも恵まれている
今川氏真は剣術の達人だったらしい

138: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:52:25 ID:RM4 
>>131
そう言われたらそうやなぁ…
でも基本大名が死んだら終わってまうんやからそこも考慮せなあかんくない?

133: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:49:47 ID:r3W
本多忠勝は普通に前線で戦ってるやろ
だから怪我について井伊直政と比較されたり
傷を負ったことが無いことが称賛されてるんやと思うで

143: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:56:05 ID:r3W
大名クラスが前線で戦うのは稀やと思うけど
本多忠勝なんかは元からそんな立場だったわけやないやろ
家康の子供でも突撃して部下に怒られた奴とか居るで

96: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:12:53 ID:17c
弓で舟沈める鎮西八郎為朝さんがなんだって?

108: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:24:41 ID:r3W
>>96
これやろ
スサノオは神枠やし

100: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:17:05 ID:wRQ
そういや戦国時代って戦術とか強い軍の話はよく聞くけど個人の話は聞かないな
真田十勇士とか武蔵くらい?

101: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:18:58 ID:lRL
ギリ写真あるような明治期の達人すこ
植芝盛平とか元部朝基とか

Morihei_Ueshiba_1939

植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される[5]。

身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。

終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務めた。合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、柔道・空手道などに次ぐ国際的武道に育った[6][7]。盛平の功績は社会的に高く評価され、紫綬褒章、勲三等瑞宝章などを受賞[8]した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E8%8A%9D%E7%9B%9B%E5%B9%B3

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本部 朝基(もとぶ ちょうき、1870年5月5日(明治3年4月5日) - 1944年4月15日)は、沖縄県出身の空手(旧称・唐手)家。

「琉球の名門本部家に生まれ、唐手の戦闘術、すなわち実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」(『キング』大正14年9月号)[1] と評されたように、20代の頃から伝説的な強さを誇り、戦前「最強空手家」と称えられた空手の大家であり、日本傳流兵法本部拳法(本部流)の開祖でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA

102: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:19:48 ID:cWP
こんなん前田慶次最強じゃん

107: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:23:15 ID:vmW
なんで人間バリスタこと源為朝がこんな評価低いんや!

109: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:25:33 ID:oYV
タフネス(生命力・継戦能力)最強…舩坂弘
フィジカル(身体能力・膂力)最強…源為朝
テクニック(戦闘技術・個人戦術)最強…宮本武蔵

これでどないや

112: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:28:27 ID:r3W
>>109
為朝は兄貴と戦うのが嫌で兜の内側を射て追い払ったとかあるで
弓に関しては那須与市を越える技量なんや

115: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:29:11 ID:wRQ
>>109
刃牙道の武蔵を見てたらあれよりも膂力で上のやつがおると考えたら恐ろしいな

116: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:31:42 ID:nuF
加藤清正

119: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:34:36 ID:5tE
https://www.youtube.com/watch?v=5WW20FvFzjA



みっさっわ
みっさっわ
みっさっわ

120: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:37:04 ID:dbH
>>119
やっぱり三沢光晴氏最強やな
ローリングエルボーに耐えられるとは思えん
ノアだけはガチ

137: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)18:51:39 ID:HnN
荒木又衛門でええやん

147: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)19:08:53 ID:Ztx
最強か知らんけど、比較的近代的な証言が残ってる近藤勇

池田屋には七人で行ったんだけど、明らかに劣勢なのに浪士を逃がさない戦術を取り
逃げ道に四人配置したので、二階に踏み込んだのは三人
そのうち沖田は突入前から咳の発作を起こしてて役立たず
藤堂は踏み込んだ瞬間額を撃たれたか斬られたかして重体

階段下担当の永倉は落ちて来た藤堂と沖田を庇いながら奮戦するも
上から次々と手負いの浪士(だいたいみんな剣客)が半狂乱で降りて来る
もう潔く死ぬか逃げるかしかないと何度も思ったけど

一人二階に残った近藤がいつまでも戦ってるから、戦い続けるしかなかったと

149: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)19:15:51 ID:rku
本部に決まっとるやろ。

ガチなら那須与一

150: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)19:20:31 ID:9ir
畠山重忠とか熊谷直実とか武蔵国の武士は強いやで

153: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)19:25:43 ID:vmW
真柄十郎左衛門直隆は?

154: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)19:27:08 ID:rku
弓が最強なんだよなぁ日本の戦場では七割は弓で死んでたらしいし

159: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)20:27:58 ID:wRQ
燕返しって有名やけど技としては有能なんか?

160: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)20:29:26 ID:cWP
>>159
と言うかどんな技かわかっとるんか?

161: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)20:38:34 ID:RM4 
>>160
振り下ろしてすぐに上に向かって切り上げるんやっけ?

163: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)20:57:18 ID:F9P
>>161
せやで
見切ったはずの斬撃が死角から返ってくるんや
それで顎を割る

ソースは喧嘩稼業

164: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)21:03:15 ID:RM4 
>>163
かわされること前提なら初撃がめちゃくちゃ軽くなりそうやな
かわされずに受けられたら弱そう

165: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)21:13:33 ID:F9P
>>164
日本刀とバットどっちが重いかわかるか?
軽く振っても反応できずにポイントズレたら受けきれんぞ
なんなら刀に毒も塗ってあるしな

167: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)21:33:26 ID:RM4 
>>165
まず受けようとしないって話?

168: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)21:40:16 ID:F9P
>>167
刀の重みで早々軽くはならないしその上で速い斬撃は速い斬撃で受けにくいって話

171: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)23:32:26 ID:XqA
坂上田村麻呂

172: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)23:42:20 ID:Sg5
戦国武将が実際に弓矢刀槍を手にして戦ったエピソードってあんまり無いよね

顔面射られて配下に顔踏ませて踏ん張って弓矢引き抜かせた土佐の殿様は有名やが

173: 名無しさん@おーぷん 2017/03/31(金)00:50:33 ID:hl7
柳生宗矩

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柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)(柳生但馬守宗矩 やぎゅう たじまのかみ むねのり)は、江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。

剣士としては、江戸初期の代表的剣士の一人として知られる。将軍家兵法指南役として、当時の武芸者の中で最高の地位に位置し、「古今無双の達人[17]」「刀術者之鳳(おおとり)[18]」「父(石舟斎宗厳)にも勝れる上手[19]」「剣術古今独歩[20]」「剣術無双[21]」など様々に賞賛されている。また、新井白石や勝海舟なども自著にて賞賛している

一剣士としてだけに留まらず、「活人剣」「大なる兵法」「無刀」「剣禅一致」などの概念を包括した新しい兵法思想を確立し、後世の武術・武道に大きな影響を与えた。その功績を讃え、平成15年(2003年)には宮本武蔵と並んで全日本剣道連盟の剣道殿堂(別格顕彰)に列せられている。この宗矩の思想をまとめた『兵法家伝書』は、『五輪書』と共に近世武道書の二大巨峰と評され、『葉隠』や新渡戸稲造著『武士道』など武道以外の分野の書物にも影響を与えている。

流派当主としては、新陰流(柳生新陰流)[22]を将軍家御流儀として確立し、当時最大の流派に育て上げた。これにより、当時多くの藩が宗矩の門弟を指南役として召抱え、柳生新陰流は「天下一の柳生」と呼ばれるほどの隆盛を誇った。[23]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E7%9F%A9

176: 名無しさん@おーぷん 2017/03/31(金)12:10:11 ID:KFb
>>173
無刀取りやっけ?

175: 名無しさん@おーぷん 2017/03/31(金)07:00:04 ID:sRi
熊を投げる坂田金時

169: 名無しさん@おーぷん 2017/03/30(木)23:23:42 ID:tPs
現代だと誰になるんやろうか
自衛隊員か居合の達人あたりになるんかな?



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引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1490862575/